2011.07.30 Saturday
ドライビングMissデイジー
タイトルだけを知りつつ、そのタイトルや主演俳優に興味を持ちつつも、ずっと未見だった素晴らしい映画を見ました。
思えば劇場公開時に観ていても、今感じている程の感動が得られたかどうか? この年齢に達してから巡り会えたのを幸せだと思っております。 タイトルはドライビングミスデイジー。
1989年製作のアメリカ映画。 1950年頃から1970年頃までのアメリカ南部を舞台にしています。
ジェシカ・タンディ演じる老齢のユダヤ系未亡人たるミスデイジーと、モーガン・フリーマン演じる初老の黒人男性ホークとの心の交流を監督ブルース・ベレスフォードが淡々と描きます。頑固で人のことを褒めないミスデイジーは裕福な白人ですが、南部においては被差別対象となるユダヤ系です。
彼女に運転手として仕えるホークは、穏やかな性格ですが当時の南部において合法的な差別対象。ガソリンスタンドのトイレを使うことが許されないホーク。
ふたりが道端に車を停めて休憩しているときに職務質問を行う若い警官がいます。 黒人たるホークには当然のように高圧的です。
白人たるミスデイジーにたいしては、彼女のファミリーネームを尋ねた瞬間から様子を変えます。 ユダヤ系と判ったからです。
息子にホークの様子を尋ねられたミスデイジーは、「どうして彼のことなんかを聞くのか?」とあくまでもホークは使用人であるという立場を屑じません。
しかし、彼の仕事ぶりにシンパシーを感じ始めてからは、彼のことを「ハンディ」だと称します。(それは物語の最終局面で、言葉が「ベストフレンド」に変わることで証明されます。)
言葉面は「便利」という意味ですが、そこには感謝の念が感じてとれます。家政婦としてホークと共に働く彼の妻であるアデラが亡くなってから、ミスデイジーは「彼女はツイテいた」と言います。
それはホークの妻であったことが幸せであったであろうという意味が込められているはずです。ミスデイジーの生活。 息子の経営する紡績工場の様子。 得意先の心象を考えてマーチンルーサーキングの夕食会への同席を断る息子の気持ち。 KKKによって爆破されたシナゴーグ(ユダヤ教会)
これらの出来事や、人と人との心の交流をや心象の変化を淡々と描く監督。
この際に、キャプションは入りません。
画面や台詞から、その変化変遷を視聴者は自分の感性を頼りに感じ取る必要があります。
これで誰が幸せになったとか、誰が不幸だとか、誰が悪者だとか、誰が報われたとか、そのようなことを脚本は押し付けてきません。
だからこそお勧めしたいのです。要所要所に素晴らしい音楽と、風景。 これぞ映画の醍醐味だと思いました。
迫力ある3D映像やCGを利用した爆破シーンだけが映画ではありません。車好きとしては、ホークが運転する古きよきアメリカ車の変遷にも注目します。
最初にミスデイジーが運転をしくじる車は