ニキ・ラウダのサイン入りカードを戴いたので、映画ラッシュ・プライドと友情の半券
と共にご紹介しました。
今日は、その素晴らしい映画を皆さんに知っていただきたくて、ご紹介します。
カウンターで語ると、それを聞いてくださる方のうち何割かは「観たくなる」と
仰ってくださるので、気を良くしてたくさん書きます。
ニキ・ラウダとジェームス・ハントの関係やレース結果は、すでにファンの知るところですので、これをもって映画の魅力を損なうことにはならないはず。
ニキ・ラウダ
1949年生まれのオーストリア人
裕福な家庭の長男として生まれましたが、
家族はレーサーになる彼の希望を承服しませんでしたので、自らの手腕で資金を集める必要がありました。
銀行から融資を受ける際に、自らの生命保険金を担保としたり、様々な苦難を経て、フェラーリ総帥のエンツォに認められるまでに。
セルフプロデュース能力に長け、レースの現場に「テスト」という概念を深く落とし込んだ才能。
現在では当たり前の生き方をいち早く具現化したものとして高く評価すべきものです。
ワールドチャンピオン獲得
その翌年もチャンピオンシップをリードしていたラウダでしたが
レース中のアクシデントで車両火災が発生し、頭部の大火傷のみならず、肺の中はFRPボディが発する有毒ガスでひどい状態に陥ります。
そして病室には牧師がおとずれることに。
まさに生死の境をさまよいますが、ラウダの鋼鉄の意思は酷い痛みを伴う治療に耐えます。
そして火傷の傷も十分に癒えないまま、事故の僅か6週間後!に復帰します。
その時ラウダの左側の外耳は失われていました。
ポイントランキングトップのラウダを3点差で追うのは英国人レーサー・ジェームス・ハント。
その年の最終レースは日本。 舞台は富士スピードウェイ。
レースが始まっても降り止まない雨に、ラウダは僅か数週をスロー走行した後、自らハンドルを置きます。
リスクが大きすぎると言い残し。
その結果、3位に入賞したジェームス・ハントが逆転王座を得た年が1976年でした。
ジェームス・ハント
1947年生まれの英国人
彼も裕福な株式仲買人の家庭に生まれましたが、やはり家族は彼がレーサーになることに反対します。
しかし貴族であるヘスケス卿をパトロンとしてから、運命は良い方向に転がります。
ラウダとは違う方法でレース界でその名を轟かせるジェームス・ハントですが、私生活のそれもラウダとは全く異なるもの。
まさにセックス&ドラッグを地でゆく生き様だったようです。
口伝ですが、同期に活躍していたジョン・ワトソンという英国ドライバーが居るのですが、ハントに
「何故彼はワールドチャンピオンに成れないのか?」という質問に対して
「奴はアイリッシュ(アイルランド人)だからさ。」 と答えたそうです。
思ったことをそのまま言葉にする彼らしい逸話。
対象的な2人の関係を、富士スピードウェイのレース結果、そしてハントが迎える早すぎる死。
それを描いた映画なのですが、ラウダもハントも、対照を成す存在を得たことによって
それぞれの魅力が際立ったのではないでしょうか?
藤波辰爾と長州力
王・長嶋と江夏豊
アイルトン・セナとアラン・プロスト
北海道日本ハムファイターズの大谷翔平選手にしても、彼と対を成すライバルが存在しないことが災いしているかもしれません。
意外にも彼が一面を飾るスポーツ紙の売れ行きは良くないのだとか。
ラッシュ・プライドと友情
その映画のどこが気に入ったのか?
ニキ・ラウダがそのあと家庭を築く相手であるマルレーヌと出会う場面があるのですが、彼女所有のプジョーをラウダが運転するんです。
メカに精通するラウダは、すぐにプジョーの不調に気づくのですが、やがて立ち往生します。
偶然ランチャのベルリーナで現場を通りかかったレース好きのイタリア人は、それがラウダだと知りヒッチハイク成功。
イタリア人はラウダにハンドルを委ねます。
ラウダはタウンスピードでランチャを転がすのですが、彼らにせがまれると果敢にアクセルを踏み込む展開がありました。
この時、ラウダのペダル操作がフューチャーされるのですが、このシーンが素晴らしい。
クルマと会話するのが楽しいと感じる方ならお分かりいただけると思います
昭和の80馬力800キロ 100馬力1トン 130馬力1300キロのMT車を楽しんだ方ならおわかり戴けると思います。
低いギアを選んで、床が抜けるほど強くアクセルを踏み込んでも、それを制御できる性能の車をお持ちでしたか?
その時、ほぼアクセルを戻さずギアをあげますよね。
ドカンとアクセルを踏み込んだ後、やはりドカンとブレーキを踏みました。
フロントディスクローターとパッドのクリアランスが広がってしまうので、その状態を探りつつドカンとブレーキを踏んだでしょ。
まさにラウダの操作はその感じなんです。
一見乱暴な操作に見えますが、ランチャは滑るようにイタリアの田舎道を駆け抜けます。
イタリアの若者2人は大興奮していますが、マルレーヌの顔は恐怖に引きつりました。
当時のF1はウイングカーと称される強烈なダウンフォースでコーナーを駆け抜けることが可能になり始めた時代だと記憶していますが、映画を楽しむ我々は、それを体験したことはありません。
私はプレステのグランツーリスモで、その片鱗に触れました。
F1は150キロで走るより250キロで駆け抜けたときのほうが遥かに安定しています。
もちろんそれに伴う強力な横Gはゲームでは伝わりませんが、自重を遥かに上回るダウンフォースを得たマシンは、遠心力に抗して旋回速度を高めます。
だからでしょうか? 映画はF1のレースシーンでのみCGを使い、燃料が空気と混ざり圧縮され燃焼しタイヤに伝わる様子を表現しています。
あの感覚を正しく観客に伝えることが困難だからだと判断したのが理由だと思うんです。
対してエントリーカテゴリーでのマシンにはウイングなどが装着されていないので、そのトリッキーな挙動は私達の想像上にあります。
レース中の鍔迫り合いが「身近に」緊迫感を持って楽しめたのは下位カテゴリーレースでした。
初めて逆上がりができた子供の感覚を伝えるために、校舎の様子から青空の様子、そして自分の後方にある壁の様子から足元の地面が見えて、また校舎が見えるまでを映像化すれば、多くの観客の共感を得ることができると思いますが、内村航平選手の目線を再現しても、それは彼の体験を疑似体験することにつながらないと思うんです。
この辺りのさじ加減は、映画監督・スーパーバイザーの力によるものでしょう。
車好きの方々 全員にオススメしたい名作です。